2011年12月14日 (水)

We Are The Champions

みんなで優勝目指そうぜ!!とアジテートした(つもりの)前回のエントリから、はや4カ月。そしてついに本当に、レイソルはJ1で優勝してしまいました。

埼スタではイマイチ実感が湧かなかった。満員の埼スタは非日常感にあふれているが、アウェイのレッズ戦という意味ではこれまでも経験したことのある風景、ロケーションだったし。おめでとうございます優勝ですよ!と言われても、目前で起こっている事象はレッズに勝利したという結果のみだったし。誇らしげに「Champion」の文字が書かれた看板が出てきて、大東チェアマンに大きなシャーレ(もう誰も灰皿とかフリスビーとか言わない!)を頂いて、ようやく少し、いつもの風景とは違う「優勝チームならではの光景」が展開して、じわじわと来るものがあった。

だが、最も「優勝の実感」がこみ上げてきたのは、アウォーズの録画を見たときですね。残念ながら通常業務があって生では見られなかったのだが、録画を見たらあんまり誇らしくて少し涙ぐんだ。いやー良かった良かったホントに。個人的には、ドゥーのベストイレブンがことさらにうれしいよ。




現在これを書いてるのは、TOYOTA Presents FIFAクラブワールドカップ準決勝、vsサントスFC戦を控えた豊田駅前のスターバックス。周りはサントスサポで固められ、自国開催なのにかなりのアウェイ感にさいなまれている。でもいいのだ。この大会への出場は、あくまでご褒美的なもの。この雰囲気を含めて楽しみたい。

やはり価値があるのは、トップリーグを制して日本一になったことだ。昨年も書いたが、長丁場のリーグ戦で頂点に立つには、競技としての強さはもちろん、バックアップ体制やクラブ運営など、総合力が求められると思うからだ。勢いだけでは得られない成果を成し遂げる、本物の強さ。われわれはそれを手に入れたのだ。

その要因は、選手個々の踏ん張りや、強化部の称賛に値する仕事、裏方スタッフの充実ぶりといった要素ももちろんだが、やはりネルシーニョ監督のスキルによるところが最も大きいと思う。彼がどこでこんなスキルを養ったのか、非常に興味がある。ヴェルディ時代はともかく、名古屋で指揮を執った時代は必ずしも成功とは言えなかったと思うのだが。クラブが現場を彼に任せて、彼のやりたいようにさせれば、こんな結果を出せるのか。それともネルシーニョ自身、還暦を超えてなお進化しているのか。

2009年の途中にネルシーニョが監督に就任した当初、ネルシーニョの行動、言動を伝え聞いて、正直に申し上げれば「ただの自信家の嫌味なおっさん」じゃないかと思った。

ほら、日本人なら誰しも、謙譲の美徳ってやつを持ってるじゃないですか。いえいえ、わたくしめなどまだまだの若輩者でございます。挑戦者として精一杯やらせていただきます。恐れ入りますがお胸をお貸しいただけますでしょうか。そんなへりくだった調子で、相手と対峙するじゃないですか。

でもネルシーニョは違うのですね。「オレはネルシーニョだぜ?」「オレたちはレイソルだぜ?」「なんで下手に出なきゃいけないんだ?」と。J1を制した今ならともかく、当時は降格圏内であえぐ弱っちいチームだったのですよ。しかしネルシーニョは、ボロは着てても心は錦的に(ちょっと違うか)、メンタリティだけは強豪クラブのそれであることを求めているように感じられた。傍から見てるとそれはあたかも、結果が出てもいないのにプライドだけは高い、過去の成功体験に酔っぱらったままの「終わった人」のようだった。

しかしそうじゃなかった。ネルシーニョはレイソルにはびこっていた負け犬根性を見抜いた上で、選手やスタッフの言動行動、思考回路から「王者仕様」にすることを求めたのだ。それを自らが率先して実行していた、ということなのだ。当時は気付かなかったが、今ならわかる。自信にあふれたレイソルの選手やスタッフの目、表情を見ると、ネルシーニョが変えたかったものがわかる。

どこまで行けるのだろう。ネルシーニョはこの先、レイソルをどこまで持っていきたいのだろう。興味は尽きない。ただ言えるのは、「ネルシーニョさんについていきます!!」ということだ。

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2011年8月12日 (金)

優勝を目指す時が来ている

「目を覚ませ。優勝を目指す時が来ている。Jリーグに参加するだけのチームで終わるな」
1997年、当時のニカノール監督は選手に向かってこう発破をかけたという。結局この年はファーストステージで一時首位に立つが、最終的に3位フィニッシュ。セカンドステージは10位に沈み、ニカノール監督の望み通りにはならなかったのだけれど。

最近この言葉を思い出したのです。ホント、まさにその時が来ているな、と。

現在、20試合を消化して首位。勝点2差で追走する名古屋とガンバが1試合未消化だから、厳密には「暫定」というべきだろうが、それでもここまでリーグ戦が進んでなお首位に立っているのはすごい。レイソルの強さは本物だ。

とはいえ、やっぱり名古屋とガンバの強さも本物。特にガンバには、7月のホームゲームで底力を見せつけられた。われわれはJ2上がりの挑戦者、今季はACL出場を目標にして、さらに戦力が充実するであろう来年にこそ頂点を目指すべきなのでは…。

てなことを考えてました、正直。しかし先日、ある男に叱咤された。来年なんてどうなるかわからない。チャンスがあるのに今、それを本気で目指さなくてどうするのだと。その言葉を聞いたら、「そうかな。そうだね。そうだよね。今しかないよね!!!」てな具合に、ムクムクと優勝への渇望みたいな気持ちが沸き上がってきたのだ。ま、私が目指して獲れるもんでもないが。

しかし。思いの力はバカにできない。選手やスタッフ、フロント、そしてスタジアムに詰めかけるサポーターが気持ちを一つにすれば、それは大きな力となる、かもしれない。ピッチに送る声援にも力がこもるというものだ。それが選手の「あと一歩」を踏み出す力に変わる、かもしれない。信じれば願いがかなう、かもしれない。いや、そうなるはずだ!

ね、だから。ひとつ本気で思ってみませんか。「優勝を目指す時が来ている」と。え? 既に本気で思ってる? 私だけっすか、そうですか。



いやしかし、ホントに今季のレイソルは強い。何が強いって、ピッチ上に立つ選手の意思が統一されている。局面局面でどんなプレーをすべきか、どう動けばどこにスペースが生まれて誰がそこを使うか。そんな連動性が随所に感じられ、見ていて「強いなー」と唸ることもしばしばだ。

そして誰が出てもクオリティがほとんど落ちない(もはやチーム随一のストロングポイントとなったレアンドロと酒井の右サイドはちょっと別格だが)。タニが抜けたらヤバいって話してたのに、名古屋戦の茨田とか、こないだのマリノス戦の兵働とか、見事にその穴を埋めている。個がそれぞれの長所を生かしつつ、前述の通りチーム全体の連動性、統一感は保たれている。個ではなくチームの強みが発揮されている。

そして名将ネルシーニョの采配。普通、代表にも声がかかろうかっていうノリノリのFWがいたら、調子が悪くても使っちゃうのが人情ですよ。でも、スパッと外してしまうその意志の強さ、眼力、迷いのなさ。すごい。

ここのところ2年続けて、広島、セレッソとJ2昇格直後のチームがACL出場を果たしているが、そこには共通性がある。すなわち、「(1)確かな手腕を持った監督が」「(2)J2でチーム戦術を熟成させ」「(3)負け癖を払拭して昇格してきた」という点が似通っているのだ。個人的な今季の興味はこれにFC東京が、てか(1)の要素に大熊さんが当てはまるのかということだが、それはさておき。

ゆえにACL出場は早い段階で確信していた私だが、最近は優勝を強く意識し出している。それには、これからの数試合、前回対戦で敗れたジュビロ、ガンバ、フロンターレとの試合が非常に大切だ。これら、敗戦を喫している試合の課題は、チームで把握しているはず。アウェイには行けそうもないが、思いの力をMAXにして、スカパー!見ながら応援します。

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2011年7月31日 (日)

仙台戦、中三日のボランティア

仙台に来ているのです。今日(7月31日)で5日目になります。

震災の影響でナビスコカップのレギュレーションが変更され、アウェイ仙台戦が1週間に2度という本来ならあり得ないスケジュールになった。このスケジュールが発表されたときから、薄ぼんやり考えていたのだ。7月27日のナビスコと31日のリーグ戦、両方現地で観戦するとして、中3日間を被災地でのボランティアに充てよう、と。

で、会社の夏休み制度を利用して休暇をとり、実行に移したのでした。


実際にボランティア活動に従事した感想を……と、その前に敗退してしまったナビスコカップ第2戦の感想を。

いやー勝てると思ったけどな、前半は。

キタジのゴールが決まった後は、「どこかで2点目が取れるだろう。そしたらアウェイゴール数で勝ち上がれる」と考えていた。ところが仙台はハーフタイムにゼンマイを巻き直してきたようで、後半は前半に増してアグレッシブだった。その時間帯に角田のゴールが決まる。仙台の選手にさらなる自信と勇気をもたらすスーパーゴールだった。あのゴールが、仙台の選手たちをさらに奮い立たせたように思われた。

結局、レイソルは反撃できないまま終了間際に追加点を奪われ、連敗となった。こうなった以上仕方ない、リーグ戦と天皇杯に集中集中。今日のリーグ戦は、死に物狂いのレイソル戦士が見られるはずだよ。わずか4日後、同じ相手に同じスタジアムで再び負けるなんて、彼らのプライドが許さない。



さて、ボランティアの感想を。

そもそもボランティア活動に従事しようと考えたのは、この未曽有の大震災に直面して、何か「フィジカルに」取り組みたいと思ったからなのだ。小銭を寄付したり、節電や省エネルギーに取り組んだり、3月11日以降自分なりにできることをやってきたつもりだった。しかし、テレビで現地の映像を見たり、5月に仕事で被災地を訪れ、その途方もない被害を目の当たりにして、「何かやらなくちゃ」という使命感めいたものが胸の内に芽生えた。ガレキの山を片づけたり、被災者の方々の力になれるような活動に従事して、この微力(ホントに悲しいほど微かな力なのだが)を尽くさねば、自分の気持ちに折り合いが付けられない気がしたのだ。

自分の、自分による、自分のための行動。要するに自己満足だ。ここでそれをひけらかしてるあたり、「善業に励む姿」を皆さんにアピって好感度アップ(?)を狙う策略が心中にちょっと存在してる気配にも気づいてる。それでもこうして書くのは、「この震災を、被災地の悲惨な現実を、いつまでも忘れないようにしようよ」と皆さんに呼びかけたいからだ。

今、仙台は活気に満ちているように見える。実際、ホテルはものすごい混みようだし、飲食店もにぎわっている。工事関係者や視察に来た人、ボランティア、野次馬、その他、もろもろ。人とカネが集まる。岩手から宮城(原発の影響がある福島は除いて)まで、ここ数年は景気が良くなるのだろう。

でもその先はどうだ。津波でやられた海岸をコンクリートで固めて、ぱっと見復旧が成し遂げられた被災地に、また人は集まるのか。



今回私が参加したのは、仙台市の南にある亘理町というところのボランティアセンターだ。木曜日から昨日まで、わずか3日間だが参加させてもらった。昨日、最終日ということで、ボランティアセンターの受付の方が手作りのイチゴのぬいぐるみをくれた。亘理町はイチゴが名産なのだ。「これを見て亘理町を思い出してください。そしてまた亘理町を訪れてください」というメッセージだった。

被災地の方々は、関心が失われることを恐れている。今はまだ「片づけ」のフェーズで、生活を再建するのはこれからだ。震災から4カ月が経ち、世間の関心が徐々に薄れるのは仕方がないにしても、この先何年、何十年と続く復興の歩みに常に関心を持ち続けていたい。そう思って、私はボランティア活動に参加し、それを皆さんにも訴えたいと思ってここに書いた。この先何度も、被災地を訪れたいと思う。



ちなみにボランティア活動は大変疲れました。体中筋肉痛。でも最もつらかった瞬間は、2日目、床下にもぐってヘドロを掻き出したり断熱材を剥がしたとき。作業的にはそんなに体力を使う種類のものではないのだけど、まだ湿ってる泥が顔面にボトボト落ちてきたときには心が折れそうになった。金もらってもやりたい仕事じゃない。ボランティアじゃなきゃやる気にならない。そういうメンタリティに気づけたという意味でも、いい経験でした。

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2011年6月 4日 (土)

お久しぶりです

気がつけば関東地方は梅雨に入り、今日は久方ぶりに晴れて夏の気配も感じられる、そんな気候になってました。2ヶ月以上もブログを放置してしまった。皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。



3.11。あの日から全てが変わってしまったようで、何も変わっていないような気もする。

あの日あの時、私は豊洲のホームセンター2階にあるファミリーレストランで遅い昼食をとっていた。カタカタカタと窓ガラスが小刻みに振動する音に気づき、「お、地震だ」と思ったのもつかの間、ユッサユッサと激しい横揺れに襲われた。テーブルに掴まっていないと立つこともままならないほどだった。グラスが割れ、ドリンクバーのサーバが落ち、照明が落ちるんじゃないかと思うほど大きく揺れた。頭の中には恐怖心と、「マジで!?」という信じられない思いが渦巻いていた。

揺れが収まり、ひとまず外に出ようと廊下に出たら、自動音声の館内放送が「火災が発生しました」と不穏な警告音とともに何度も繰り返す。こりゃ大変だ、早く逃げよう、と走り始めたら、隣の部屋にあった保育所の保育士さんが「子どもを助けて!」と泣き声で叫ぶのが聞こえ、われわれ(ファミレスの客)は子どもたちを抱えながら走って近所の公園まで逃げた。外に出たら、お台場のほうからは黒い煙が上がり、液状化で泥も噴き出している(その時は地下の水道管が破裂したのかと思った)。これは現実なのか?現実に起こっていることなのか?と自問自答しながら、ふわふわした心持ちで走った。

とまあ、あの時は自分自身がとんでもない災害に遭遇したと思ったのだが、そんなの比じゃない災難に巻き込まれてしまった多くの方々が存在したのは、改めて記すまでもない。あの地震と津波で亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。そしていまだ行方不明の方々が見つかりますようにと願っています。



東日本大震災に直面して感じたこと、気づいたことはいくつもあって、一度には記しきれない。先週には初めて被災地の南三陸町と石巻市に行き、そこで気づかされた多くのこともあるのだが、被災地に一度行ったからといって、現地の実情なんかを訳知り顔でわかった風に話す奴は信用ならないと思うから、ここには書かないと思います。

明日仙台との今季初対戦を控えた今日、ひとつ記すとすれば、やはりサッカーのある生活の素晴らしさについて、だろうかと。

3月12日は初めての金鳥スタ遠征に出かける予定だった。第2節セレッソ戦はもちろん延期され(なんで長居になっちゃったの…)、私たちはサッカーのない春を過ごさざるを得なかった。何か不思議な気がしたのと同時に、サッカーの持つ意味について改めて考える機会となった。

私はこう思った。以前から、サッカーって「感情揺り動かし装置」だと思っていたのだが、そこに「ノーリスクで」という前提が加わった気がしたのだ。

家族や愛する人や、これまで築きあげてきた町並みや、要するに人々の営みがまるごと泥水に呑み込まれていく様を目にして、こんな悲しみ、苦しみがあるだろうかと絶望的な気分になった。あれに比べれば、応援するクラブがJ2降格の憂き目にあうなんて、悲しみでも何でもない。

そう確信する一方で、やはりJ2降格は悲しい。でもJ2だからといって試合がなくなるわけではないし、スポンサーフィーや入場料収入が減るクラブはともかく、応援する側からすれば、リスクは小さいと言えるのではないか。

サッカーで得られる喜怒哀楽の起伏、それは混じりっ気のない本物であると同時に、ほとんどリスクを負うことなくそれを享受できる。日常生活ではついぞ味わえない本物の喜びや悲しみを、サッカークラブに寄り添ってともに生活することで、失うものなく(お金は失いますが)体験できる。感情豊かな人生は豊かだ。だから、サッカーって素晴らしい。

と、4月23日の再開初戦を前にしてつくづく思ったのでした。反論もあるでしょうが、私はそう思った。



そして今、サッカーのある日常って素晴らしいと思いながら日々を過ごしています。さあ、明日はナビスコ初戦だ。仙台だからって手加減しないよ!と、自分が戦うわけでもないのに思っている。ホント、サッカーって素晴らしいですね。

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2011年3月 7日 (月)

2011年初更新(3月で!!)

皆様、お久しぶりでございます。


かれこれ3ヶ月もの間、ブログから遠ざかっていました。この間も覗きに来てくださった方々、大変申し訳ございません。

1年以上「ブログが書けない」スランプ状態に陥っていましたが、ここ数カ月はそれが高じて、ブログ管理画面を開くことすら避けてました。したがっていくつかコメントもいただいておきながら把握もしておらず、結果として何のリアクションもせず、大変失礼いたしました。ホント申し訳ございません。

なんでこんなにブログが苦手になっちゃったのか。自分でも思い当たるフシがないわけじゃございません。つらつら考えてみるに。


その1。子どもが生まれて忙しくなった。ゆえに更新する時間がない。これは間違いなく真実なのですが、ある意味「子育て」というブログネタが新たに提供されたわけで、真の原因はたぶん別にあるのです。


その2。ネタがない。これも真実。て言うか、ネタにすべき材料がない、と申しますか。

思い返せばレイソルネタ一辺倒になってた当ブログ。しかも関係者ヅラして、さも近い視点でチームを論じているかのように。以前はそれを自認していた部分もあった。表に出てこないエピソードや、表に出ていても曲解されがちなことの真実をオレが伝えるのだ、的な使命感を持って。しかし時がたつにつれ、そういった行為が非常に恥ずかしく、思い上がったメンタリティによるものだと思えてきたのですね。「何様のつもりだ。自己顕示欲強いだけちゃうんか」と、もう一人の自分が耳元で囁くわけです。

そんなことないよと言ってくれる方も、やっと気づいたかとおっしゃる方もいると思いますが、自分ではそんなふうに感じていたのです。レイソルネタに関しては心理的ブレーキが掛かるようになった。まあそもそも、知ってる選手もスタッフも少なくなりましたけどね。だから、ネタにすべき材料がない。


そしてその3。じつはこれがいちばん大きな理由じゃないかと考えているのですが。それはtwitterの存在。

twitterに関しては、以前ここで書いたことよりもさらに認識が深くなって、じつにこれはとんでもないメディアだと思ってるのですが、それはさておき。結局私が皆さんに伝えたいくだらないネタなんて、140字もあれば十分なのですよ。最大でも140字×数ツイートで。

そしてここがさらに重要なポイントなのだが、twitterって、学校の昼休みに友だちと輪になってくっちゃべるくらいの気軽さで発言できる。いっぽうブログは、学級会で挙手して発言するくらいの心理的ハードルの高さ(少なくとも今の私には)。だいいち私なんかが語る文章に、タイトルなんていらんのです。

もちろんブログというメディアがしっくりくる人種、状況ってのはありますけどね。ブログで情報発信するジャーナリストとか、芸能人やスポーツ選手などの有名人とか、イラストレーターとかフォトグラファーの発表の場としてとか、一般より秀でた筆力と独自の視点を備えたアルファブロガーになり得る人とか。

上記「その2」で白状した通り、関係者ヅラしてレイソルを語ることは自重したくても、普通に試合を観た感想とかを誰かに伝えたいと思うことはある。でも哀しいかな筆力を伴わない私には、twitterで十分。「ワグネルの左脚ヤバス!!」で事足りちゃうのです。



とまあそんなわけで、twitterではボソボソとしゃべくっていたのですが、ここのところいろんな方に「ブログどうした」的なことを言われまして。こんな拙ブログでも読んでくださる方がいるのなら、更新しよう、いやしなくてはという意識が高まりまして。Jリーグも開幕しましたしね。

前述のとおり、以前の論調に羞恥心を感じてるくらいですから、いっそブログごと閉じてしまいたいと思ったことも一度や二度じゃございません。が、あんな記事こんな記事もある意味私の人生の記録であり(大げさ)、時間のストックでもあるわけで。それも含めて自分だよ、と常に自戒を促す上でも公開しておくのがいいのかなと考えてる次第です。

とりあえず再開一発目はそんな状況報告でした。

しかしまあやっぱり開幕戦に触れぬわけにはいきますまい。ひとことで言うなら「ネルシーニョのツンデレっぷりヤバい!!」に尽きますね。あのPSMの内容で清水戦の結果は予想できなかった。toto買うとき、1にマークする手を一瞬止めたくらいですよ。

これは相当面白いシーズンになるかも。ぜひセレッソ戦もこの目で見届けたいと思います。金鳥スタにも行きたいしね!

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2010年12月 8日 (水)

傷つくことで強くなる

またも更新間隔が開いてしまった。覗きに来てくださる方、ホント申し訳ございません。

草津は現地に行ったし、そのことについて書こうとも思ったんですけど。日々育児に追われるイクメンは、なかなか時間が取れないのです。などと言い訳しつつ…。



子どもが産まれてからの毎日は、日々発見ですね。気付かされることや思い至ることが毎日のようにある。妄想癖は強いくせに、こうして子育てをしてみると、自分の想像力の貧弱さに呆れます。自分の親に対する思いも改まりますね。こんなふうに自分を育ててくれたのか、と。

男親の無力さ、みたいなのもその一つ。いや無力ってわけじゃないんだが、やはり母と子のきずなの強さは特別。これも想像では以前から感じていたことだが、毎日妻と子を見ていると、父親は母親の代わりには絶対になれない部分があるのは認めざるを得ない。だって子どもにとって、母親の「体液」が全栄養なんですもんね。もちろん市販のミルクがあるのは承知の上で、存在として代わりにはなれない。当たり前のことだけど、目の当たりにするとつくづく感じる。



これは十数年前、初めて姉に子どもができたときに感じたことなんですけど。今、毎日わが子を抱くたびに思う。

それは、「赤ちゃんの足の裏って、なんて柔らかいんだろう」ということで。

甥っ子1号が産まれたときに、足の裏の柔らかさに驚愕したんですよ。私のほっぺたやお尻(紫外線を浴びないから、人間ってお尻の肌がキレイですよね)なんて比較にならないくらい、柔らかくてスベスベ。そしてこう思った。「人間が生きることって、傷つくことと同義なんじゃないか」と。そして「傷つくことで、人間は強くなるんじゃないだろうか」と。

わが子はまだ生後50日ほどだから、もちろん一度たりとて自らの足で自分を支えたことはない。でも今後、立ち上がり、歩き、走り、毎日何万歩と地面を踏みしめることで、どんどん固くなっていくだろう。裏を返せば傷つくということだけど、それによって自らの全体重を支えても痛くならない強さを身につける。傷つくことで強くなる。

筋トレもそうだ。筋肉に負荷をかけると、細かい傷がつく。それを修復しようと細胞分裂することで、筋肉は太くなる。傷つくことで強くなる。

話を大きくしちゃってアレですが、人間ってその繰り返しなんだなと。身体も心も。



サッカーを追いかけてるとこの季節、悲しいニュースを目に耳にする。今日もそうだった。でも、傷つきながら、同時に強さを身につけていきたいと思うのです。精一杯この生を、奇跡的に与えられたこの生を生きていこうと。つくづく話を大きくしちゃってアレですが。



とまあそんなわけで。別に傷ついたわけじゃなくて、当然のこととして受け入れなければならないしその覚悟もあるんだけど。またどこかのスタジアムで、フルベさんやクラちゃんに会いたいですね。

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2010年11月24日 (水)

優勝ってホントいいものですね

いやあー、いいもんですね、優勝。

優勝っつっても二部だし…なんて事前には思ってましたが、いざ決まってみると、うれしさがこみ上げてきましたですね。別に私が戦ってたわけじゃないんですけどね。

それどころか、よくよく考えてみると、やはりリーグの頂点に立つという成果には大きな意味があるんじゃないかと思えてきた。一部だろうが二部だろうが、カテゴリーは別にして。なぜならクラブの総合力が問われると思うからだ。

トーナメントや短期決戦だったら、勢いで行けちゃうこともある。前々回の天皇杯におけるレイソル(決勝では跳ね返されましたが)や、フリューゲルス最後の天皇杯なんかまさしくそうですね。でも、長丁場のリーグ戦だとそうはいかない。ケガ人が発生したり調子を崩す選手が続出したりすることもあるから、控えを含めた選手層の厚さが求められる。マンネリズムに陥ることがあっても、継続して闘争心を燃やし続けていなければならない。チーム内が分裂でもしたら、絶対に成し遂げられない。

プレーヤーだけではない。指導者、メディカル、マネジメント、用具管理や給食体制などのバックアップ、サプライヤーやスポンサー、フロントの支え。そしてもちろん、サポーターの献身的なサポート。それらクラブの総合的な力が発揮されなければ、リーグの頂点を極めるという偉業はなかなか達成されるものではないだろう。

柏レイソルとしては初めてのリーグ制覇ですからね。前身の日立製作所本社サッカー部時代を含めても、JSLでは1部で1回、2部で1回の計2回だけ。45年にわたる歴史の中で、リーグ制覇は今年で3度目なのだ。いかに難しいものかって話です。

だからプレーオフで最終順位が決まっちゃうというのは理不尽ですよね。日本のプロ野球の場合、クライマックスシリーズで争われるのはあくまでも日本シリーズ出場権で、リーグ優勝の価値はそれとは別とされている。でも日本シリーズの勝者=日本一という評価がある以上、リーグ優勝しても日本シリーズに出られなきゃガッカリ感は否めない。リーグ優勝チームに100億くらいの賞金を用意して価値を高め、日本シリーズはホント単なる余興です~くらいの位置づけにするならまだしも。プロ野球の場合、リーグ優勝しても賞金はないらしいですからね。「カネのためにやってるんじゃねえ!!」って叱られそうですが。



ところで昨日の試合後のシャーレ贈呈式やサポーターへの挨拶などのもろもろ。私はメインスタンドで見てたから、遠くて詳細はよくわからなかったんですけど、キタジのブログなんか読むと、結構グダグダ感があったみたい。そりゃあほとんどの選手が未経験だもんね。

某主務に聞いたんですが、彼はシャーレの上げ方やらサポーターへの挨拶やら何やら、過去の優勝チームの映像をYoutubeで見まくって研究したらしい。特に鹿島が3連覇を達成したときのシャーレの上げ方がよかったと。曽ヶ端、岩政、マルキーニョス、彼らが代わる代わるシャーレを掲げ、それが様になっていたと。

そりゃそうだ。3年連続3回目ともなれば、選手も慣れるだろう。でも昨日のレイソルのセレモニーががグダグダしてたとしても、その初々しさがいいじゃないですか、ね。

数年後、「いやー3回目ともなると、シャーレの掲げ方も堂に入ってるね!!」なんて語ってみたいっす。もちろんJ1で(笑)。

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2010年11月 9日 (火)

祝昇格

ギャース。

…もういいですか。いいですね。



いやあ、乳飲み子が家にいる毎日は怒涛の日々ですわ。ブログ書いてるヒマなんてありゃしない。あっという間に時間は過ぎて、気づいたらレイソルがJ1昇格を決めてました。

…ウソです。熊本戦も水戸戦も岐阜戦も、現地で見てました。

もうすっかり過去のことですが、試合の感想なぞ手短かに。まず熊本戦。ビックリしましたね。まさか3バックで来るとは。大分の戦術を徹底的に研究して、レイソルの長所を消しに来た。立ち上がりはその急造3バックの脆さをついて、キタジや順也くんが立て続けに決定機をつくったけど決められず。相手にゴール前をしっかり固められて、スコアレスドローに終わってしまった。

熊本にすれば、アウェイのレイソル戦で勝点をひとつでも積み上げる、現実的な解があれだったのだろう。栃木にしても大分にしても、リカルド・ロボやキム・ボギョンの個人技で点は取ったが、基本「スコアレス上等」な戦術。見ていて面白いサッカーではない。

でも、そういった守備的な戦術を執ってくる相手を責めるのは、お門違いも甚だしい。サッカーのルールに則ってるんだから、それを崩してゴールを奪えないレイソル側に問題があるのだ。かと言って、レイソルの選手を責める気もさらさらないんですけどね。チャンスはつくれていたし、「次だ次、切り替えようぜ」ってな気分でした。


そして10月31日の水戸戦。3試合続けて守備的な相手と対峙した後だけに、ラインを高く保って、点を取られても取られても最後まで「フットボール」してくれた相手に、ソーダ水のような清涼感を覚えた。

スタジアムに足を運んでくれたお客さんに勝利をプレゼントしたいのは、どのクラブも同じ。でもそれは保証できない。力を尽くしたって、負けることも引き分けることもあり得る。でも、強い相手にけちょんけちょんにやられたって、「最後まで諦めずに全力を出し尽くす」姿勢を見せることはできるし、その姿でお客さんの心を揺さぶることはできるんだ、と強く思った。

1万人プロジェクトの当日、水戸の選手たちのプレーからは、そんなメッセージが伝わってきました。レイソルの勝利は嬉しかったけど、それと同じかそれ以上に、水戸の選手に感じるところがあった。結局、スポーツクラブの売り物って、「お客さんの感情を、日常では味わえないレベルで揺り動かすこと」だと信じてるから。


そして岐阜戦。試合について言うことは特にないです。ホント、今シーズンの強いレイソルの試合運びだった。

試合後の歓喜。正直今季は、昇格という「正のエネルギー」がほとばしる、クラブとその周辺が大いに盛り上がるチャンスなのに、あまりに強すぎるのか、熱気に欠けるような気がしていた。しかしそんな私の浅はかな見方をあざ笑うかのごとく、試合後は最高の盛り上がりだった。やっぱイイネ!!日立台は。

2006年の、一度崩れてしまったクラブを皆で再び築き上げながら昇格したストーリーは、ちょっと比類のないものだった。でも今年の、力及ばず降格したチームに対し、選手スタッフ個々が責任感と向上心を持って団結し、強さを身につけて勝ち続けたストーリーも、珠玉のドラマだと思う。あとで振り返れば、「いいシーズンだった」と思い返すんだろうな。

目標はあくまでもJ2優勝だってことはわかっているが、それは達成できると信じている。ネルシーニョは昇格を決めたからと手を抜く(試合に出てない選手を試すとか)なんてあり得ない監督だし、チームが力を発揮すれば、自ずと付いてくる結果だと思う。だから、個人的な興味は、今季という意味では天皇杯に向いている。ガンバ相手にどこまでやれるか。じつに楽しみです。



うーん、子育てについて書こうと思ったけど、それはまた次回に。ナビスコ決勝とか、いろいろ書きたいことはあるんだけど、申し訳ございません。さー帰って息子を風呂に入れねば!!

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2010年10月16日 (土)

ご報告なぞ

ギャース。またまたブログ更新の間隔が空いてしまいました。


……。


……。


……ギャースって何?



それはさておき、皆様お久しぶりです。数えてみたら20日も更新してなかった当ブログ。最近はまったく長文が書けない。深刻なスランプです。ツイッターの副作用かしら。

以前は、脳内でうすぼんやり考えていることが、10本の指を通してすらすらと日本語にアウトプットされてたもんだが。うまいヘタは別として、文章を書くことが好きだったのは間違いないのだが、ここのところは苦痛ですらある。困ったもんだ、というより情けない。



原因として思い当たる節はいくつかあるんですけどね。そのうちのひとつが、公私ともに慌しくなっていることで。特にシのほう。

はい。おかげさまでついにわたくし、齢四十にして、初めて人の親になりました。

とても元気な男の子。妻も子どももまだ病院にいるから、これ書いてる今も「本当に自分は父になったのだろうか。あれは夢か幻じゃなかろうか」なんて思いがふと頭をよぎったりもする。非・親の期間が40年間の長きにわたったせいか、自分の遺伝子を持った子どもがこの世に存在するなんて信じがたい。

でも現実だ。正直、昔は子どもが苦手で、それが子づくりに至らない理由でもあった。実際、生まれてきた子どもを愛せなかったらどうしようと、ウジウジ悩んでいた。しかし初めてこの手に抱いたわが子はたまらなく愛しくて、それがうれしかったし、「オレの本能は鈍ってなかった」とちょっと安心したりもして。

まあこの先どうなるかわかりませんけどね。でも、あまりにか弱い赤ん坊を見ていると、守ってあげなきゃという父性本能らしき思いがむくむくと持ち上がってきますね。

ちなみに誕生日は10月14日。今日は何の日?と思って調べてみたら、鉄道の日だって。父の遺伝子をしっかり受け継いで、鉄分豊富なヲタに育ってくれそうです。



ところで、妻のお腹が大きくなった頃から、子どもが生まれたらあることをしたいと画策していた。それは、生まれてきた当日に、何か記念になるような買い物をしようということなのだ。

どうやら男の子らしいとわかり、「時計を買おう」と心に決めた。生きるってことは、その内容、質的な問題はさておき、時の流れのくびきから逃れられない。時を重ねながら、何かを覚えたり、ことをなしたり、誰かを愛したりするわけですね。誕生の記念に、時を計る道具ってのはぴったりだ。身につけてる時間が長いアイテムだし、将来この子が大きくなったときに親父の形見としてプレゼントするにもうってつけ。よし、時計を買おう。

…といった話を妻にしたら、「自分が欲しいんでしょ」と一言。ぎっくぅ!

いやでもホントにそう思ったんですよ。と自己正当化を図りつつ、分不相応な時計を買ってしまった。ごめん、わが子よ、生活力のない父で。

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2010年9月26日 (日)

次なる目標

四十路お祝いメッセージをお寄せいただいた方々、ありがとうございました。おかげさまでこの間、めでたく(?)40歳になりました。

とはいえ何が変わるわけでもなく。いつもどおり平凡な日々を過ごしております。

しかしまあこの1週間は、レイソルが大事な3連戦に3連勝して気分がいいですね♪ 今さっきも福岡との試合をスカパー観戦していたのですが、予想を裏切る完勝。現在3位につけ、好調と伝え聞いていた福岡に対しては、もう少し苦戦するかと思ってた。中2日だし、アウェイだし、正直ドローでもいい試合だと。選手たちに謝りたい気分です。

ドローでもいいなんて気配は微塵も感じさせず、主導権を握り続けて勝ち切った。特に、中断前のような守備の堅さが戻ってきたのは頼もしい。福岡のミスの多さと比較して、ちょっとJ2では飛び抜けたクオリティだなと感じましたね。

今日の試合を見ていて、昇格はもちろん、優勝も間違いないなと確信した。まあ、4月アタマにも確信してたんだけど、さらに強く、はっきりと。



こうなると楽しみなのが、天皇杯だ。

下位との勝点差がついたとはいえ、選手にとっては当然、目の前の1試合1試合に勝利することが最優先だろう。それは当然。でも私ら応援してるサポは、ちょいと思考を飛躍させてもバチは当たるまい。つい、天皇杯に思いを馳せてしまう。

私は、今年のこのチームが、J1相手にどれほど通用するのかを見たいのですよ。チーム全体だけじゃない。レアンドロとか橋本とか茨田とか、今季になって試合に出ている選手がどんなプレーを見せてくれるのか。来年の試金石にもなるし。

天皇杯は勢いで結構行けちゃう大会だってのは、2年前にわれわれも経験しましたからね。元日を見据えて、本気で優勝狙ってほしい。J2チームだからなんて臆することなく、自分たちのサッカーに自信を持って、立ち向かってほしい。昇格、優勝、その次の目標は、天皇杯。いやマジで。

さしあたって10月11日の神戸との一戦、ぜひこの目で見たいと思っとります。



しかし話は戻りますが、この3連戦、キタジのプレーにはしびれましたね。

自身がブログに書いてたけど、彼は今でも、他のプレーヤーから(キャリアも齢も全然下の工藤からも)学び、成長している。これ、かなり難しいことだと思うのです。

年齢は関係ないって言うけど、キタジが32歳なのは事実。アスリートの現役時代はドッグイヤーだから、一般社会人のキャリアに照らし合わせれば、32歳の選手は普通の会社員で言うと50歳くらいのポジションでしょう(カズは70歳くらい?)。50歳くらいの管理職が、後輩の仕事のやり方を真似して成長しようと考えますか? 長年培ってきたやり方を変えようと思いますかね? プライドやら思考の硬直化やら、いろんなものが邪魔すると思うのです。

謙虚かつ、常に向上心を燃やし尽くしてないとできないことだと思う。彼の姿勢はホントに多くの示唆を与えてくれる。いやマジで尊敬しますよ。

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