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2007年12月13日 (木)

特別なクルマ

レッズ惜しかったっすね。ポンテがいたらまた違ったかも。

まあ点差以上のものを感じてしまったのも事実だが。彼我の差は歴然としてあるが、何が違うって、トラップというかボールコントロール。あのテクニックは、残念ながら現在の日本人プレーヤーをはるかに凌駕している。

とはいえ、「海外のビッグクラブを応援する」と「Jリーグのクラブを応援する」の違いは、「超美形なグラビアアイドルに恋をする」と「芸能人ほどじゃないけどかわいい生身の女の子と付き合う」の違いに似ている。私は断然、後者ですなあ。




さて。

前回のエントリ、おかげさまでオニギライズ史上最多のコメント数を記録しました。私の友人某氏もさぞ参考になったことでしょう。

しかし、自分にとって特別なクルマを買い替えるという決断の難しさは、よくわかる。彼の場合、クルマは再び実家のガレージに収まるようだが、下取りに出しちゃうようなときは本当に切ない。

思い出すのは1991年。わたくし弱冠20歳でした。18歳で免許を取って、初めての所有車ダイハツ・クオーレの次に手に入れたのが、親父から譲ってもらったホンダ・アコードエアロデッキだった。

Accordaerodeck

これ。今見るとなかなかスタイリッシュだが、当時は全く理解されず、友人たちからは、「アコードバン」なんて言われたもんです。しかし私は底抜けに(小草若兄さん風)気に入っていた。当時住んでいた横浜市戸塚からバイトしていた関内のレストランまで、毎日乗って行った。初めて高速道路を走ったのもこのクルマ。平均時速160kmくらいで、横浜から愛知の実家まで2時間ちょいのコースレコードを記録したりもした(今はもう絶対、そんな運転しません。若気の至りと笑ってやってください)。

しかし。そんなエアロデッキとの蜜月に暗雲が立ち込める。それは、あるクルマがデビューしたことによる。

Beat

ホンダビート。前年に発売されたNSXに憧れていた私にとって、その縮小版のようなビートは大変魅力的だった。デビュー前から雑誌などで情報を仕入れ、「買おうか買うまいか」逡巡する日々を送っていた。

というのも、確か新車当時は138万円だったと記憶しているが、一介の学生にとってはやはり十分すぎるほどの大金で、おいそれとは手を出せなかったのである。

ところが。ビートのデビュー当日の朝、親父からの電話で起こされた。

「おい。ホンダから出た軽自動車、おまえ買わんのか」と父。

「そりゃあ欲しいけど…」と私。

「じゃあ買いなさい」

というわけで、決心が固まった。ホントに、私の浪費癖は親譲りだと思う。

しかしビートの購入は、エアロデッキとの別れを意味する。それは大変つらい決断だった。せめてエアロデッキと一緒に過ごした証がほしい。そう感じた私は、あることを思いついた。

友だちからビデオカメラを借りて、エアロデッキをカーグラTV風に撮る!

じつに単純かつ今考えると相当恥ずかしいのだが、友人3名を誘った私は、わざわざカメラカー用にユーノスロードスターを借りて、2台つるんで箱根へ出かけた。芦ノ湖スカイラインや伊豆スカイラインを行き来して、わざとらしくタイヤを鳴らしながら走る姿をカメラマン役の友人に追っかけさせたり、ユーノスを追い越すシーンを撮らせたり。あろうことか、撮影はクルマの中で野宿しながら2日間にわたった。ヒマな学生ならではの行動である。

そんな甘酸っぱくもこっ恥ずかしいビデオテープ、現在行方不明なのです。たぶん、あの時誘った友人3名のうちの誰かが持ってると思うのだが…。

さて、そんなこんなでビートが納車される日。引き取られていくエアロデッキ。私の脳内には、「ドナドナ」が鳴り響いていた。

エアロデッキから乗り継いだ黄色いビートは、今でも私にとって青春のクルマである。箱根を走りまわり、彼女とのデートにも大活躍し、なんとあの小さなクルマで北海道一周を敢行したりした。横浜から青森まで8時間かけて走り、フェリーで函館へ上陸、次の日には稚内の宗谷岬に立っていた。あんなロングドライブはもう2度としないだろうな…。

濃密な時を3年も過ごしたビートだったが、新卒で入った会社を辞めてプー太郎生活を送っている時、実家に預けておいたら親によって勝手に売り払われた。それはだらしない私への、親による最大の抗議だっただろう。

こっ恥ずかしいビデオを撮るという儀式を経験できたエアロデッキとの別離のほうが、結果的にいい別れ方だったのかも。今になっても、もう一度ビートに乗りたいという思いがくすぶっているのです。

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コメント

ビート・・・(´・ω・`)ナツカシス
子供が産まれて泣く泣く手放した思い出の車です。あっ、泣いてたのはダンナですがw
白のビートで、今思えば手放すのもったいなかったな~
車好きのダンナは、死ぬまでに100台の車に乗る!という無謀な夢を着々と実現中ですが
やっぱりもう一度ビートには乗りたいそうです。
ちなみに今はストラトスがガレージで眠ってます。

投稿: momi | 2007年12月14日 (金) 01時31分

あえて。m(_ _)m
オマエハオレカ。

高校の頃エアロデッキに憧れるも中古を買う勇気?も無く&初代アコードワゴンの衝撃とアメリカホンダが現在のエアロデッキを作りましたって小さな記事を読んで60回ローンでアコードワゴンを購入!も21世紀に伝えたい車ランキング1位(ご存知NAVI)に選ばれたのがビートで欲しくなるから好きにならないでいようとしたビートを我慢できず中古で購入しました。
でも、アコードワゴンの別れは辛かったなぁ。柏公園入り口のアップルですわ。何度も何度も振り返りました。

長くなりすぎました。ごめんなさいm(_ _)m

投稿: イタリア | 2007年12月14日 (金) 04時20分

momi様
ストラトスってランチアの? これまたすっごいクルマをお持ちですねえ。もしかして旦那さんは私と同じくスーパーカー世代?

ビートは日本が誇る名車です。ホンダには、もう一度あんなクルマを造ってほしい。乗れば誰もが元気になるような、一気に若返るような、街を走っているだけでウキウキするようなクルマを。ミニバンばかりじゃなくて。


イタリア様
似たようなクルマ遍歴をお持ちですなあ。あの2代目アコードワゴンは、姉一家が乗ってました。アメリカンな雰囲気が濃厚に漂う、カッコいいクルマでしたね。

投稿: おにぎり | 2007年12月14日 (金) 11時54分

今頃コメントすみません。
偶然たどり着いたのですが、

ビートとエアロデッキって・・・みたいな。

僕自身はエアロデッキは所有してないのですが、
その原型ともいえるワンダーシビックに魅せられて
三台乗り継ぎました、そしてビートへ。

おそらく感覚的にはかなり近い方だと思われます(笑)

投稿: ミンツ | 2008年8月28日 (木) 21時42分

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