2度目の敗北感
いささか旧聞に属するが、10月3日土曜日の夜のこと。
日立台での敗戦に打ちひしがれ、沈んだままいったん事務所に戻った。新木場に近づくと、目の前にどーんと花火が上がった。なんじゃこれ!? なんでこんな季節に?とキツネにつままれたような気持ち。30分ほども続いたろうか。色とりどりの花火を間近で眺めていたら、やさぐれた心がちょっとばかし癒された。
てっきり、前夜の2016年五輪開催地を決めるIOC総会の結果を受けて、東京オリンピックが実現したときに盛大に打ち上げる予定だった花火を、ヤケクソになって打ち上げてるのかと思った。「だってもったいないし」とか言って。もちろんそんなわけはなく、後で調べたら夢の島マリーナのイベントだったらしい。
てなわけで、2度目の東京オリンピックは叶わなかったのですが。個人的にはすごく残念。ここのところ自信を失いかけてるような気がする日本人と日本国を盛り上げるには、オリンピックのような国を挙げての祭りが一番だと思ったのだ。3日未明のIOC総会の生中継も、固唾を飲んで見守っていた。2回目の投票結果が発表され、落選都市として東京の名が読み上げられたときは、全身から力が抜けた。そのあとはフテネ。
夏の五輪招致で敗北感を味わうのは二度目である。一回目は小学5年生のとき。1988年のオリンピック開催地に、名古屋が立候補していた。対抗馬はソウル。でも、当時の愛知県には子ども心にもわかるほど「楽勝ムード」が漂っていた。
だいたいその数年前から、小学校の授業でオリンピックが取り上げられてた。先生が「みんなが18歳になるころ、名古屋でオリンピックが開催されます!」なんて、さも決まったかのように言ってたしね。そっかあ、名古屋でオリンピックやるのかあー。でもオリンピックって何?って感じ(76年のモントリオール五輪のころはまだ物心つく前で、80年のモスクワ五輪は日本がボイコットしちゃったから、実感に乏しかったんですね。初めてオリンピックってものに接したのは、84年のロス五輪。開会式の“ロケットマン”は衝撃でした)。
だから、開催地が決定した翌朝のニュースで、サマランチ会長が「ソウル!」と読み上げた映像はすんごく鮮明に覚えてる。子ども心に傷ついたのだ。
後々の中日新聞の検証記事で、当時の本山名古屋市長が韓国の関係者に慰められたという言葉が紹介されていた。いわく「名古屋は街を挙げての招致活動を展開されたのでしょうが、ソウルは国家プロジェクトだったのです」と。街単位、県単位では盛り上がってたのですけど、日本全体ではそうでもなかったんでしょうね、名古屋のときは。
2008年の大阪オリンピック招致も、首都圏では全く盛り上がってなかったし。でも、今回の東京招致はそれなりに話題になっていたから、行けるかなと思ったのだが。“南米初の五輪”に比べると、説得力に欠けるのは仕方ない気もする。でも、感覚的にはこないだバルセロナでやったばかりのスペイン・マドリッドに負けたのは納得いかんな。
フットボールファンにとって痛いのは、国立競技場を球技専用スタジアムに改築するというプランが頓挫しちゃったこと。日本単独開催のワールドカップ招致も、東京オリンピックの実現を前提として計画されていたというし。うーむ。
この際オリンピックの開催云々関係なしに、晴海に10万人規模のスタジアムを造っちゃえばいいのに! と無責任に思う一方で、あそこにスタができても足がないよなー。と、こないだ大江戸線の勝どき駅から晴海客船ターミナルまで歩いて汗だくになったおにぎりは逡巡するのです。
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