お久しぶりです
気がつけば関東地方は梅雨に入り、今日は久方ぶりに晴れて夏の気配も感じられる、そんな気候になってました。2ヶ月以上もブログを放置してしまった。皆さん、お元気でお過ごしでしょうか。
3.11。あの日から全てが変わってしまったようで、何も変わっていないような気もする。
あの日あの時、私は豊洲のホームセンター2階にあるファミリーレストランで遅い昼食をとっていた。カタカタカタと窓ガラスが小刻みに振動する音に気づき、「お、地震だ」と思ったのもつかの間、ユッサユッサと激しい横揺れに襲われた。テーブルに掴まっていないと立つこともままならないほどだった。グラスが割れ、ドリンクバーのサーバが落ち、照明が落ちるんじゃないかと思うほど大きく揺れた。頭の中には恐怖心と、「マジで!?」という信じられない思いが渦巻いていた。
揺れが収まり、ひとまず外に出ようと廊下に出たら、自動音声の館内放送が「火災が発生しました」と不穏な警告音とともに何度も繰り返す。こりゃ大変だ、早く逃げよう、と走り始めたら、隣の部屋にあった保育所の保育士さんが「子どもを助けて!」と泣き声で叫ぶのが聞こえ、われわれ(ファミレスの客)は子どもたちを抱えながら走って近所の公園まで逃げた。外に出たら、お台場のほうからは黒い煙が上がり、液状化で泥も噴き出している(その時は地下の水道管が破裂したのかと思った)。これは現実なのか?現実に起こっていることなのか?と自問自答しながら、ふわふわした心持ちで走った。
とまあ、あの時は自分自身がとんでもない災害に遭遇したと思ったのだが、そんなの比じゃない災難に巻き込まれてしまった多くの方々が存在したのは、改めて記すまでもない。あの地震と津波で亡くなった方のご冥福をお祈り申し上げます。そしていまだ行方不明の方々が見つかりますようにと願っています。
東日本大震災に直面して感じたこと、気づいたことはいくつもあって、一度には記しきれない。先週には初めて被災地の南三陸町と石巻市に行き、そこで気づかされた多くのこともあるのだが、被災地に一度行ったからといって、現地の実情なんかを訳知り顔でわかった風に話す奴は信用ならないと思うから、ここには書かないと思います。
明日仙台との今季初対戦を控えた今日、ひとつ記すとすれば、やはりサッカーのある生活の素晴らしさについて、だろうかと。
3月12日は初めての金鳥スタ遠征に出かける予定だった。第2節セレッソ戦はもちろん延期され(なんで長居になっちゃったの…)、私たちはサッカーのない春を過ごさざるを得なかった。何か不思議な気がしたのと同時に、サッカーの持つ意味について改めて考える機会となった。
私はこう思った。以前から、サッカーって「感情揺り動かし装置」だと思っていたのだが、そこに「ノーリスクで」という前提が加わった気がしたのだ。
家族や愛する人や、これまで築きあげてきた町並みや、要するに人々の営みがまるごと泥水に呑み込まれていく様を目にして、こんな悲しみ、苦しみがあるだろうかと絶望的な気分になった。あれに比べれば、応援するクラブがJ2降格の憂き目にあうなんて、悲しみでも何でもない。
そう確信する一方で、やはりJ2降格は悲しい。でもJ2だからといって試合がなくなるわけではないし、スポンサーフィーや入場料収入が減るクラブはともかく、応援する側からすれば、リスクは小さいと言えるのではないか。
サッカーで得られる喜怒哀楽の起伏、それは混じりっ気のない本物であると同時に、ほとんどリスクを負うことなくそれを享受できる。日常生活ではついぞ味わえない本物の喜びや悲しみを、サッカークラブに寄り添ってともに生活することで、失うものなく(お金は失いますが)体験できる。感情豊かな人生は豊かだ。だから、サッカーって素晴らしい。
と、4月23日の再開初戦を前にしてつくづく思ったのでした。反論もあるでしょうが、私はそう思った。
そして今、サッカーのある日常って素晴らしいと思いながら日々を過ごしています。さあ、明日はナビスコ初戦だ。仙台だからって手加減しないよ!と、自分が戦うわけでもないのに思っている。ホント、サッカーって素晴らしいですね。
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