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2011年7月

2011年7月31日 (日)

仙台戦、中三日のボランティア

仙台に来ているのです。今日(7月31日)で5日目になります。

震災の影響でナビスコカップのレギュレーションが変更され、アウェイ仙台戦が1週間に2度という本来ならあり得ないスケジュールになった。このスケジュールが発表されたときから、薄ぼんやり考えていたのだ。7月27日のナビスコと31日のリーグ戦、両方現地で観戦するとして、中3日間を被災地でのボランティアに充てよう、と。

で、会社の夏休み制度を利用して休暇をとり、実行に移したのでした。


実際にボランティア活動に従事した感想を……と、その前に敗退してしまったナビスコカップ第2戦の感想を。

いやー勝てると思ったけどな、前半は。

キタジのゴールが決まった後は、「どこかで2点目が取れるだろう。そしたらアウェイゴール数で勝ち上がれる」と考えていた。ところが仙台はハーフタイムにゼンマイを巻き直してきたようで、後半は前半に増してアグレッシブだった。その時間帯に角田のゴールが決まる。仙台の選手にさらなる自信と勇気をもたらすスーパーゴールだった。あのゴールが、仙台の選手たちをさらに奮い立たせたように思われた。

結局、レイソルは反撃できないまま終了間際に追加点を奪われ、連敗となった。こうなった以上仕方ない、リーグ戦と天皇杯に集中集中。今日のリーグ戦は、死に物狂いのレイソル戦士が見られるはずだよ。わずか4日後、同じ相手に同じスタジアムで再び負けるなんて、彼らのプライドが許さない。



さて、ボランティアの感想を。

そもそもボランティア活動に従事しようと考えたのは、この未曽有の大震災に直面して、何か「フィジカルに」取り組みたいと思ったからなのだ。小銭を寄付したり、節電や省エネルギーに取り組んだり、3月11日以降自分なりにできることをやってきたつもりだった。しかし、テレビで現地の映像を見たり、5月に仕事で被災地を訪れ、その途方もない被害を目の当たりにして、「何かやらなくちゃ」という使命感めいたものが胸の内に芽生えた。ガレキの山を片づけたり、被災者の方々の力になれるような活動に従事して、この微力(ホントに悲しいほど微かな力なのだが)を尽くさねば、自分の気持ちに折り合いが付けられない気がしたのだ。

自分の、自分による、自分のための行動。要するに自己満足だ。ここでそれをひけらかしてるあたり、「善業に励む姿」を皆さんにアピって好感度アップ(?)を狙う策略が心中にちょっと存在してる気配にも気づいてる。それでもこうして書くのは、「この震災を、被災地の悲惨な現実を、いつまでも忘れないようにしようよ」と皆さんに呼びかけたいからだ。

今、仙台は活気に満ちているように見える。実際、ホテルはものすごい混みようだし、飲食店もにぎわっている。工事関係者や視察に来た人、ボランティア、野次馬、その他、もろもろ。人とカネが集まる。岩手から宮城(原発の影響がある福島は除いて)まで、ここ数年は景気が良くなるのだろう。

でもその先はどうだ。津波でやられた海岸をコンクリートで固めて、ぱっと見復旧が成し遂げられた被災地に、また人は集まるのか。



今回私が参加したのは、仙台市の南にある亘理町というところのボランティアセンターだ。木曜日から昨日まで、わずか3日間だが参加させてもらった。昨日、最終日ということで、ボランティアセンターの受付の方が手作りのイチゴのぬいぐるみをくれた。亘理町はイチゴが名産なのだ。「これを見て亘理町を思い出してください。そしてまた亘理町を訪れてください」というメッセージだった。

被災地の方々は、関心が失われることを恐れている。今はまだ「片づけ」のフェーズで、生活を再建するのはこれからだ。震災から4カ月が経ち、世間の関心が徐々に薄れるのは仕方がないにしても、この先何年、何十年と続く復興の歩みに常に関心を持ち続けていたい。そう思って、私はボランティア活動に参加し、それを皆さんにも訴えたいと思ってここに書いた。この先何度も、被災地を訪れたいと思う。



ちなみにボランティア活動は大変疲れました。体中筋肉痛。でも最もつらかった瞬間は、2日目、床下にもぐってヘドロを掻き出したり断熱材を剥がしたとき。作業的にはそんなに体力を使う種類のものではないのだけど、まだ湿ってる泥が顔面にボトボト落ちてきたときには心が折れそうになった。金もらってもやりたい仕事じゃない。ボランティアじゃなきゃやる気にならない。そういうメンタリティに気づけたという意味でも、いい経験でした。

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